百人一首の歌人達

今まで解説・紹介した歌の作者を紹介です。

○1 天智天皇 ○2 持統天皇 ○3 柿本人丸(麿) ○4 山部赤人
秋の田の〜 春過ぎて〜 あしびきの〜 田子の浦〜
舒明(じょめい)天皇の皇子で即位前の名前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。藤原鎌足とともに蘇我氏を撃ち、大化改新をなしとげ、天皇に即位しました。その後、飛鳥から近江に都を移しています。 天智天皇の第2皇女で、壬申の乱の時に夫の大海人皇子(後の天武天皇)を助けました。夫の死後、皇子・草壁が28歳の若さで死んだために天皇として即位した。政策面では、刑部親王や藤原不比等らに命じて法令集「大宝律令」を編纂させるなど、奈良時代の政治の根幹を固めた。 持統天皇の頃の宮廷歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏で710年ごろに石見国(現在の島根県益田市)で死んだといわれます。
万葉集の代表的歌人の一人で、長歌、短歌95首が収められています。
奈良時代初期の宮廷歌人で、万葉集第3期の代表的歌人です。身分の低い下級役人だったようで、天皇の行幸などに同行して歌を捧げたり、皇室で不幸があれば挽歌を詠むなどの事が多かったようです。紀貫之は古今集の序で赤人を柿本人麻呂と並ぶ「歌聖」として讃えています。
○5 猿丸太夫 ○6 大伴家持 ○7 阿倍仲麻呂 ○8 喜撰法師
奥山に〜 かささぎの〜 天の原〜 わが庵は〜
大納言・大伴旅人の子。官位は中納言。三十六歌仙の一人。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。
19歳の頃、遣唐使として中国へ渡った。玄宗皇帝に気に入られ、中国名「朝衡」として50年以上仕えた。帰国を許されたが、途中で船が難破して、結局帰れぬまま唐の地で没す。大詩人である李白や王維とも親交があった。
六歌仙の一人。宇治山の僧という他は経歴不明。
ちなみに「六歌仙」とは、平安時代初めの和歌の名手たちを6人選んだもので、在原業平、僧正遷昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町のことを言います。             

百人一首の歌人達A

この絵は歌仙絵師  千絵崇石さんの許可を受けて掲載いたしております。