どんなに偉く、立派な人であろうと、人間である以上は欠点のない人はなく、たとえいたとしてもそれがかえって気にくわない場合もある。
人の成功をねたみ、反感を持つ者が多いが、誤解を恐れていると何も出来ず、役に立たない人間になるばかりである。

風を切って早く進めば風当たりが強いように、自分が他の人より一歩先に進めば、それに対する抵抗があるのはやむを得ない。

昔ある時、釈迦のよい評判をねたむあまり、師の面前で罵声を浴びせてののしる者がいたという。釈迦はそれに対し平然とした態度でいたという。
彼が言い疲れた時、釈迦は「友よ、もし人が贈り物を差し出して、それを受け取らなかったならば、その贈り物は誰に属するだろうか?」と語りかけた。
彼はぶっきらぼうに「それは贈り物を差し出した持ち主にさ」と答えた。
釈迦は「そうだ、そして今、君は私を罵った。私がその贈り物を受け取らなかったら、それは誰に属するだろうか?」と問いかけると、男は自分の非を悟り、二度とと人を誹謗しないことを誓ったという。

釈迦はこの体験を弟子たちに語り、「このように人は罵られると言い返したり、仕返ししたくなるものであるが、それは空に向かって唾するようなものである。それは人を傷つけ汚すどころか自分の身にふりかかり、自分を傷つけ汚すことになる。」と固く戒めた。

自分に対する非難、誹謗が的をえたものであるならば謙虚に耳を傾け、自分の非行をいち早く是正するがよい。しかし、そうでなければ、泰然自若としているべきだ。とかくくさされると腹を立て、誉められると喜ぶが、くさされるのは相手が自分に関心があるのだとありがたく受け取り、感謝すべきである。

人からくさされようと、ほめられようと、一喜一憂、右往左往せず、自分のなすべきことを黙々と成し遂げる姿勢こそ大事ではないだろうか。

発想の転換で心を豊かに

《発想の転換E》

『 人から非難、誹謗、中傷を受けたなら・・ 』