何を基準にして、それを下回ったら『馬鹿、愚か者』というのか・・
所詮は現象面だけをとらえて、ばくとした「感じ」で言っている場合が多いのではなかろうか?だって・・・人の内面を全てわかる人などいないのだから。
だったら・・・・こう考えてみようよ!!!!
すべてを素直に受けとめようよ!!!
第三者が客観的にみて、自分に対して言っていることが自分でも「ああ!そうかもしれない・・・思い当たることがある・・」と感じるなら、何がいけなかったのか?どうしてそうなったのか?等々その原因をいち早く気づく努力をして、なおすことが得策であろう。
もし・・・身に覚えがなければ、無視するに限る。ムキになつて弁解すると、かえって自分の愚かさを認めることになりかねないのだから・・
釈迦が在世当時、人々からバカ・馬鹿・・とあざ笑われてわれていた弟子に、『口を守り、意をおさめ、身に非行を犯さず、かくのごとく行ずる者、かならず悟りを得ん・・という一節を暗誦するよう諭し、この文の意味として、「口には四つの悪がつきまとう・・・嘘をいう事、二枚舌、悪口、偽り飾ること。
さらに意(心)には三つの悪がつきまとう・・・むさぼりと怒りとこざかしいこと。
そして・・・身にも三つの悪がつきまとう・・殺生・盗み・邪淫である。
これらを合わせて“十業”というが、これらから離れればかならず悟れるのだ』と言い聞かせたという。彼はさっそくこのことを忠実に実行した。疑いや迷いは消え、やがて阿羅漢の位につくことができたといいます。
このことからもわかるように・・・
知識を沢山もっている人が賢くて、少ない人が愚か・・ではありません。
知識はその多さよりも、その意味を知り、そのこころを体得して、身も心も口も清らかにし、それを実行することの方が大切なことではないでしようか。
自分に対する批判・誹謗・非難でさえも・・・自分が充実した人生を過ごすために必要な“practical suggestion”だと思えばいい!
そう気にしないで行こう!
『
人から『馬鹿、愚か者』などとけなされても・・・
』
発想の転換で心を豊かに
《発想の転換C》