人は少しでも自分にアゲインストな状況になってくると、『何で俺だけこうなるのか?』『どうして俺はこんなに運がないのだろうか?』などと思いがちです。
この気持ちが強ければ強いほど、全ての事を後ろ向きに考えがちになるようです。
でも・・よ〜く考えてみよう。誰にでも人生浮き沈みはあるんです。自分の気持ちがそう思わせているいるんです。
だったら・・・意識して発想を変えて・・・こう考えてみたらどうだろうか・・・
何が基準で「幸」「不幸」なのか・・・今が不幸だと思っていても、そのことが充実した人生をおくるための必要条件だったりする訳だから・・・今・・・だけで判断しない自分も必要だ・・
『冬来たりなば春遠からじ』『若い時の苦労は買ってでもせよ!』『艱難辛苦汝を玉にす』という言葉があります。誰しも幸せを望まない人はいないし、出来れば苦労したくない!と思うでしょう。しかし・・・過去に不幸や苦労を経験した人は・・『現在』に対し、比較する心のゆとりが出来ているはずです。そういう意味からは・・・苦労のない者は『不幸な人』なのかもしれません。
幸・不幸を感ずる善悪の心は自分以外のところに存在するのではなく、我々の気持ちの持ち方次第で、どちらにも傾くことができるものである。だとしたなら、幸不幸にかかわりあってその桎梏にがんじがらめにされているよりも、それらを手玉にとれるような自由な身になった方が、どれだけよいかしれない。
正法眼蔵
善悪は時なり、時は善悪にあらず。
善悪は法なり、法は善悪にあらず。