王 陽明致良知の世界は現代も〜

良知をいかに会得するか?自分の能力に応じて出来る事からやって行く。そのひとつひとつの積み重ねが良知を致すことにつながる・・・という。

仕事・上司、同僚・隣人等のなかで共同社会の一人として・・・何に貢献できるかを真剣に考え、できることから実行する・・・

小沢道雄師
「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。
小沢道雄師。大正9年生まれ。幼年期、曹洞宗の専門道場で修業。
20才で召集を受け満州へ。昭和20年、25歳で終戦。その後シベリアに抑留され
強制労働。氷点下40〜50度の酷寒に夏服のままで、支給された食料は黒パン1個、
飲み水もままならず、三日間を費やした行程で死者が続出した。
小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に冒された。

膝から切断しなければ助からない。その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが
初めて。麻酔薬もない。メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、小沢師は
この軍医に切られるなら本望だと思い定めた。
想像を絶する激痛。すさまじい痛みは一ヶ月余続いた。

八月に突然の帰国命令。歩けない者は担架に担がれ、牡丹港からハルピン、奉天を経て胡盧島
まで、1500キロを徒歩で行くことになった。
だが、出発して三日目の朝、目を覚ますと周りには誰もいなかった。満州の荒野に置き去りにされたのだ。
あらん限りの大声で叫んだ。
折りよく通りかかったほ北満から引き上げ途中の開拓団に救われた。
崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に
送られた。

母と弟が面会に来た。「こんな体になって帰ってきました。いっそのこと死のうと思いましたが、帰って
きました。」
言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、小さく言った。「よう帰ってきたなあ」。
母と弟が帰ったあと、小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。

懊悩の日は続いた。気持ちはどうしても死に傾く。その果てに湧き上がってきた思いがあった。
比べるから苦しむのだ。比べる元は27年前に生まれたことにある。27年前に生まれたことを止めて、
今日生まれたことにしよう。両足切断の姿で生まれたのだ。
そうだ、本日たった今誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、生まれて
きたのだから。
何も言うことなし。本日ただいま誕生!深い深い覚悟である。

1.微笑を絶やさない
1.人の話を素直に聞こう。
1.親切にしよう。
1.絶対に怒らない。
小沢師はこの四つを心に決め、58年の生涯を貫いた。

「主」という字の「ヽ」はロウソクの炎。「王」は台のこと。自分のいる環境を照らして生きる人のことを、
主という。
命の炎を燃やして生きるとは、自分が自分の人生の主人公となって生きることである。
「足なし禅師」
『環境が人を作るということに囚われてしまえば、人は単なる物、単なる機械になってしまう。

人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある。自由がある。だから、人物が偉大であればあるほど,立派な環境を作る。人間が出来ないと環境に支配される。』

《安岡正篤師》

このページでは月刊誌『致知』でとりあげられた事柄のうち、
自分なりに感銘したものを紹介しています。

命の炎を燃やして生きる